サマーディ (Samadhi) とは?意味・語源 | サンスクリット用語辞典
Oct 01, 2026サマーディ (Samadhi) は、パタンジャリが『ヨーガ・スートラ』にまとめた八支則の最後、8番目の段階です。
サンスクリット語で「一緒に・完全に」を意味する sam (サム)、「〜へ向かって」を意味する a (アー)、「置く」を意味する dha (ダー) という語源が組み合わさった言葉で、「至福」「解放」「悟り」など訳し方はさまざまです。
個人の意識と普遍的な意識が1つになる、完全な瞑想的没入の状態とされています。
サマーディの語源
- sam (サム)一緒に・完全に
- a (アー)〜へ向かって
- dha (ダー)置く・保つ
サマーディの意味
サマーディは、パタンジャリが『ヨーガ・スートラ』にまとめたヨガの道の、8番目で最後の段階です。
言葉の語源と訳語
この言葉はいくつかのサンスクリット語の語源からなり、「一緒に」「完全に」を意味する sam (サム)、「〜へ向かって」を意味する a (アー)、「置く」を意味する dha (ダー) が組み合わさってできています。
直訳の仕方はさまざまで、「至福」から「解放」、さらには「悟り」まで幅広く解釈されています。
輪廻からの解放と意識の統一
ヒンドゥー教と仏教では、サマーディはあらゆる精神的・知的な活動の頂点にあるものとされ、輪廻 (死と再生の繰り返し) からの解放を達成するための前提条件とも考えられています。
ヨガでは、サマーディは個人の意識と普遍的な意識が1つに統一される状態とされ、パタンジャリの八支則の前段階を経たのちに至る、至福に満ちた完全な瞑想的没入の状態とされています。
その精神的な重みは深く、自己実現を包み込み、神聖なるものとの究極のつながりを象徴すると考えられています。
ヨガでのサマーディの実践・使われ方
ヨガに関する最も著名な古代文献の1つが、パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』です。
4〜5世紀 (約1,600年前) にサンスクリット語で記されたとされる、196の格言から成る一連の著作で、ヨガを8段階の道として説いています。
この8つの「支分」を1つずつ進んでいくことで、修行者は「真の自己」を経験できる悟りの意識状態、すなわちサマーディへ導かれると信じられています。
8つの支分の内訳
『ヨーガ・スートラ』が説く8つの支分は、次のとおりです。
ヤマ (禁戒) は、非暴力 (アヒンサー)・正直さ (サティヤ)・不盗 (アステヤ)・禁欲 (ブラフマチャリヤ)・不執着 (アパリグラハ) という5つの社会的な戒めです。
ニヤマ (勧戒) は、清浄 (シャウチャ)・知足 (サントーシャ)・苦行 (タパス)・自己学習 (スヴァーディヤーヤ)・神への帰依 (イーシュヴァラ・プラニダーナ) という5つの道徳的な戒めです。
アーサナ (座法) は、ヨガのポーズです。
プラーナヤーマ (調気法) は、生命エネルギー (プラーナ) を扱う呼吸法です。
プラティヤハーラ (感覚の制御) は、感覚を内側に引き込むことです。
集中から悟りへ至る流れ
ダーラナー (集中) は、集中力を高めることです。
ディヤーナ (瞑想) は、瞑想そのものです。
そしてサマーディ (悟り) は、悟りまたは至福です。
これら8つの支分は、心を落ち着かせ、苦しみからの解放を見出すための体系立ったアプローチを提供するとされています。
最後の3つを束ねるサンヤマ
最後の3つ、ダーラナー・ディヤーナ・サマーディはまとめて「サンヤマ (統合)」と呼ばれ、切り離すことのできない一続きのものと考えられています。
集中の修練が真の瞑想状態への道となり、それが最終的にサマーディへとつながっていきます。この考え方では、瞑想は思考や評価を重ねる修練ではなく、むしろ完全な没入の状態そのものだとされています。
エゴと分離から解放された状態
サマーディに至った修行者は、瞑想という行為そのものを意識することも、それとは切り離された独立した自己を意識することもなくなるとされ、エゴと分離の幻想から解放されることで、欲望や怒りといった感情に乱されなくなると考えられています。
サマーディの関連用語
- アシュタンガ・ヨガ
- パタンジャリ
- プラーナヤーマ
- 悟り
- アンタランガ
サマーディに関するよくある質問
サマーディとは何ですか?
A. パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』で説かれる八支則の8番目、最後の段階です。
個人の意識と普遍的な意識が1つになる、完全な瞑想的没入の状態とされ、「悟り」「至福」とも訳されます。